この記事では全体主義について解説します。
政治制度や政治組織の基本的なあり方を政治体制と呼びます。
政治制度は政府の政治機構の中心をなすもので、政治組織は政党や圧力団体などの政治集団で、両者は深く関連し合って政治体制を形作っています。
近代以降の政治体制では、民主主義体制、権威主義体制、全体主義体制の3つに分けられてます。
今回の記事では全体主義体制について解説します。
全体主義体制とは?
個人の権利、自由に対して、全体の利益を優先するという政治原理
20世紀前半のドイツのナチズムやイタリアのファシズム、日本の軍国主義などが全体主義の典型的な例です。
全体主義体制を持つ国家は1つの党や個人によって支配されていて、
国民生活の至るところに規制を加えて統治しようとします。
全体主義は権威主義の極端な形で、「個人の利益よりも全体の利益を優先する」という考え方に加えて、個人の私生活なども積極的もしくは強制的に全体に従属させます。
日本の軍国主義では「国家総動員法」という法律が作られ、
国が持つすべての力、ヒトもモノも戦争に勝つために投入されました。議会の承認を得る事無く勅令として戦争のために国家のすべてを総動員できたのです。
基本的人権が保障されていない、全体主義的な政策でした。働く人の賃金や物の価格まで国が決定していたのです。
ドイツのナチス党は民族共同体が個人に優越するとして、基本的人権を抑圧して全体主義をすすめました。
イタリアのファシスト党は一党独裁をすすめ、暴力による国民の自由抑圧などを行いました。
イタリアのムッソリーニは1924年頃から全体主義運動を目標として掲げていました。

全体主義が生まれた理由
20世紀前半は帝国主義の時代でした。
イギリス、アメリカ、フランスなどの先進国は次々と植民地の獲得をしていましたが、日本やドイツ、イタリアなどの帝国主義が遅れた国、
つまり「持たざる国」で全体主義が発達したのです。
特に大きなきっかけと言われているのが、1929年の世界恐慌です。
世界恐慌では世界中に失業者を何千万人も生み出したと言われています。
アメリカはニューディール政策という公共事業を行う経済政策を行いましたが、イギリス、フランスは色濃くブロック経済による、「保護主義的」政策を行ったのです。
つまり、自国の植民地とのみ貿易を行いました。
植民地を持たない国は不況にあえぎましたが、
不況時は強いカリスマ性を持ったリーダーが登場しやすい風潮にあります。
全体主義という思想は第一次世界大戦後のイタリアにてすでに提唱されていましたが、
ドイツや日本などの持たざる国にとっては、「個人の利益よりも全体の利益を優先する」という全体主義的思想が受け入れられたのです。
不況時では議会での議論や民主的な制度が「不毛である」とされて、議会を無視した強いリーダーが活躍したのでした。
日本の場合は軍部、ドイツの場合はヒトラーであったと言えるでしょう。

まとめ
この記事では全体主義について解説しました。
全体主義は個人の利益よりも全体の利益を優先するという考えです。
従来の専制政治と異なるのは「大義(国家君主への忠義)」が強調され、そのために個人の自由を犠牲にして、全体に仕えるという考えがあったことです。
第一次世界大戦後のイタリアにて全体主義的思想が生まれましたが、
世界恐慌後の持たざる国にて全体主義という思想は受け入れられました。
全体主義の反対語は個人主義です。
独裁政治のメリットとデメリットに関しては以下の記事をご覧ください。