この記事では財閥について解説します。
19世紀末に工場などの産業資本により産業資本主義経済は、カルテル、トラスト、コンツェルンなどを通して、
資本の集中化と巨大化が進み、独占資本主義経済へと発展していきます。
一部の企業や銀行に資本が集中して、国民経済全体を支配することです。
独占資本主義経済は自由競争が阻害されて、市場メカニズムが機能しなくなります。
第二次世界大戦以前の日本は財閥と呼ばれる日本特有のコンツェルンを形成していました。
コンツェルンに関しては『コンツェルンとコングロマットとは?意味をわかりやすく解説。』の記事をご覧ください。
財閥とは?
家族または同族によって出資された親会社が中核となって形成される企業集団
同族とは直系もしくは親族のことを指していて、親戚一同で企業経営に当たり、子に継がせていく世襲制の経営体制のことです。
日本の財閥は第二次世界大戦前の日本の経済を支配していました。
特に有名なのが三大財閥の『三井』『三菱』『住友』です。
(安田も含め4大財閥とも呼びます。)
三井と三菱はさかのぼると江戸時代から強大な力を持っていました。
財閥が大きな力を見せ始めたのは、明治維新の時に新政府が財閥を強く結びついて産業改革を行った頃です。
貿易、金融、商社、鉱業などなど多角的に経営を行っていきました。
1910年頃に入ると財閥は持ち株会社の形態を取ります。
つまりコンツェルンです。
ホールディングスという言葉を聞いたことがあるかと思いますが、
親会社が子会社の株式を持ち所有します。あくまで子会社が経営を行いますが、株式を所有しているのは親会社なので、実質親会社の所有会社という事になります。
三井、三菱、住友の三大財閥は無数の子会社を所有して超巨大企業へと成長します。
財閥は政治に対しても強い発言力を持っていました。

GHQによる財閥の解体
戦後、GHQにより財閥は解体されました。
1945年にGHQは三井、三菱、住友、安田の4大財閥を含む15の企業グループを財閥に指定して、資産を凍結させます。
財閥は自由な経済競争を阻害するものと見なされたのです。
そして46年に「持ち株会社整理委員会」を設置して、財閥の本体である持ち株会社が所有している
株式は売却を命じられました。巨大な財閥系企業は、分割や規模の縮小の対象となったのです。
また1947年には独占禁止法が制定され、持ち株会社が禁止されました。
自由競争を不可能にするほどの経済支配力を持っていた、財閥は解体させられたのです。
しかし、現在の大企業の名前を見てもわかるように財閥は「グループ企業」として存続しました。
子会社の株を持つ持ち株会社は禁止されていたため、会社間同士で株を持ち合う形になりました。

まとめ
この記事では財閥について解説しました。
家族や同族がコンツェルンの形で経済を独占していたのが財閥です。
財閥は戦後の経済政策の一環で解体させられましたが、その後もグループ企業として存続することになります。