経済

アメリカの世界恐慌とは?原因をわかりやすく解説。対策はニューディール政策。

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この記事では世界恐慌について解説します。

19世紀末はカルテル、トラスト、コンツェルン等の企業や金融機関による寡占形態が取られ、

独占資本市議経済が発展していきました。資本主義経済では景気の浮き沈みが必ず起こり、不景気に弱小企業は大企業へと吸収合併されていきました。

資本が集中すれば集中するほど、アメリカの投資家達は湯水のように資金をつぎ込むようになります。

そして、バブルが崩壊して世界の経済に大打撃を起こした世界恐慌が起こるのです。

今回は世界恐慌について解説します。

 

アメリカ発端の世界恐慌とは?

1929年10月アメリカのウォール街の株価大暴落を発端に起きた世界的な経済恐慌

世界恐慌は、アメリカの投資家達が過熱している株価の上昇に対して『投資した資金が回収できないのでは?』という

投資家心理が働き、一斉に投げうったことで1929年10月24日に株価が急落したことではじまりました。

こうして全世界の失業者は2,000万人以上にものぼり4000万人とも推定されています。1933年頃までなかなか景気が回復しませんでした。

世界恐慌の影響で、世界の工業生産は約30%、世界の貿易は65%縮小しました。

10月24日の木曜日に起きたので暗黒の木曜日と呼ばれています。

 

ウォール街とは?

ニューヨークにある金融街の名称。

現在ではウォール街の通りの周辺地域もすべて金融地区となっており、ニューヨーク証券取引所や多くの銀行、証券会社、手形交換所などがあります。

 

経済学者のケインズは、このような失業を自ら望まない失業、非自発的失業と表現しました。

 

管理人
世界恐慌はある日の株価大暴落を理由に起きたんだね!

 

世界恐慌の原因は?

世界恐慌が起きた原因はさまざまあると考えられています。

最大の問題は1924年頃から株価が買われ続けたことです。

 

アメリカの経済は第一次世界大戦の戦争特需でヨーロッパに物資を輸出したり、戦費を貸したりと好景気でした。

戦争から逃れてきたヨーロッパ系の移民達により労働者の増加や、移民による消費が経済を刺激して、

都市部が開発され、都市部とつなぐための鉄道も敷かれていました。

この頃から金融工学の発達により、少ない資金で大きな金額の取引を行う信用取引(=レバレッジ取引)も始まります。

1924年から1929年にバブルが弾けるまでダウ工業平均は5倍に膨れ上がりました。

ダウ工業平均とは?

日経平均株価指数のような指数。

ダウ・ジョーンズ社というアメリカのニュース通信社が算出している指数で、アメリカの代表的な業種の銘柄の平均株価となっています。

 

このように経済成長が著しく移民による人口の増加が期待できると人々は判断したため、

過剰生産が起きました。これは過剰な資本や設備への投資が原因とされています。

人々の購買力よりも生産の方が多かったため、「モノ余り」が起きて、製品が売れなくなってしまったのです。

企業が生産を減少させたため人員削減による失業者が増大。

さらに失業者は消費ができなくなるので購買力は減退し、さらなる生産減少をもたらすという悪循環に陥りました。

製品が売れない事がわかった投資家は製品を売れない企業の株を持っていても株価上昇が期待できないため、売ってしまうという負のスパイラルへと入ってしまいました。

 

 

貿易の影響もありました。

アメリカにとって外国の国家は自国産業を守るために高い関税をかけて保護主義政策に乗り出したのです。

国内の生産を海外に輸出する道も縮小していった結果、世界恐慌へとつながってしまいました。

 

管理人
資本主義経済ってのは景気の浮き沈みが起きてしまう運命なんだね!

 

世界恐慌に対する対策

世界恐慌が起きた当時のアメリカ大統領はフーバーでした。

フーバーは共和党出身の大統領で、不況は周期的なもので市場に任せていればいづれ回復するという「自由放任主義」的な立場を取ったため、世界恐慌に対する対応が遅れることとなりました。

イギリスの産業革命以降欧米諸国では経済への国家不介入とする自由放任主義が取られていたため、

すぐに対応を変えることが難しかったとも言われています。

 

フーバーの経済的失政に対抗して、1933年に大統領に就任したローズベルトが、強い経済政策としてニューディール政策を実施します。

ローズベルトは史上最悪の不景気を克服するために、アメリカの伝統的な自由放任主義を捨てて、政府が積極的に経済に介入する方針へと転換したのです。

1933年から100日間開かれた「100日議会」では様々な画期的な法律が通っていきます。

公共事業を積極的に行って経済を立て直す政策を後押しする法律が作られました。

代表的なものに

・テネシー渓谷開発公社(TVA)
・農業調整法(AAA)
・全国産業復興法(NIRA)
・ワグナー法(全国労働関係法)

・社会保障法

があります。

テネシー河域の開発は国をあげての一大公共事業で、大量の失業者に対して雇用を与える重要な政策でした。

全国産業復興法ではカルテルの一部合法化を行い、大統領の産業統制権の京花や、労働者の保護を行いました。

農業調整法では、農産物価格の暴落を抑制するための法律です。

このように政府が積極的に経済に介入して、景気や雇用の調整を行うという斬新な政策は今までのアメリカの経済にはありませんでした。

 

しかし、1935年に全国産業復興法、1936年には農業調整法が政府の統制経済に当たり、連邦最高裁判所は違憲という判決を下します。

管理人
立法、司法、行政の三権が厳格に分立しているアメリカならではの判決だね!

これを受け手、1935年に労働者の保護規定部分を強化したワグナー法(全国労働関係法)が制定されて、社会保障法も制定されます。

社会的弱者を保護するための法律である社会保障法は世界初の法律となります。これら2つの政策は第2次ニューディール政策と呼ばれます。

 

 

まとめ

この記事では世界恐慌の原因と対策について解説しました。

世界恐慌は第一次世界大戦後の好景気により生産過剰によりバブルからの崩壊によって起きました。

アメリカはそれまでの伝統的な自由放任主義から経済に政府が積極的に介入するという政策に切り替えました。

これを修正資本主義と言います。

 

資本主義経済は自由放任に任せておくと行き過ぎてしまう点が問題視されます。

社会主義経済を確立させていたソビエトでは、世界恐慌の影響はほとんどありませんでした。

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