憲法

太平洋戦争についてわかりやすく説明。軍国主義の結果。

投稿日:

この記事では太平洋戦争について解説します。

日本は1936年の二・二六事件以降、陸軍・海軍の軍部が政治権力を握り軍国主義国家へとなっていきました。

軍事力を国家の中核にして、政治、経済、教育などがすべて軍事力に従わせるイデオロギーだったのです。

1937年には日中戦争が開始して、ヒト・モノすべての物的資源を政府が議会の承認なしに利用できる

国家総動員法も1938年に制定されました。1940年には大政翼賛会という体制に切り替わり

政党はすべて解散させられて、独裁政治となっていきました。

その結果、1941年に東条英機内閣にて太平洋戦争開戦へとつながっていったのです。

 

太平洋戦争が起きるまでの背景

大きな流れを把握します。

日本は第一次世界大戦の好景気から一転して1920年代に入ると不況に転じます。

そのため欧米列強に比べて金本位制への復活も遅くなり、金融恐慌→世界恐慌へと投入します。

 

イギリス・フランス・アメリカなどの国は植民地を所有していたので、

自国の植民地とだけ貿易を行うブロック経済圏を作り出しました。

一方のドイツ、イタリア、日本などの国は植民地を持たぬ「持たざる国」でした。

経済が不況に転じると議会政治を無視した独裁政治が起きます。

ドイツの場合はヒトラーにより一党独裁、日本の場合は軍部により独裁政治が始まりました。

そして、ドイツや日本は他国に侵攻して植民地を獲得するという目的に向かって侵略戦争を繰り広げていたのです。

ファシズムに関しては、『ファシズムとは?簡単にわかりやすく解説。イタリア、ドイツ、日本など。』の記事をご覧ください。

 

日本の場合は、1931年の満州事変。そして1937年には日中戦争に突入しました。

政党政治は軍部の暴走を抑えることができず、軍部が政治権力を掌握するようになります。

そして、政治だけではなく、経済も統制政治を労働界の支配も行いました。

 

太平洋戦争はこういった大きな時代背景の中で起きた戦争なのです。

 

管理人
日本は恐慌から軍国主義へと転換していったんだね!

 

太平洋戦争のはじまり

1941年2月8日の日本軍によるマレー半島上陸、ハワイ真珠湾攻撃で大変用戦争がはじまりました。

 

日本は仏領インドシナやミャンマーなどの国々に攻め入って資源獲得を目指しました。

というのも、1937年に始まった日中戦争が長期化しており、日本は石油などの天然資源が枯渇しかけていたのです。

1940年にはイインドシナを占領。

 

これに対して、イギリスやアメリカは激怒しました。

そして、日本に石油を一滴も輸出しないようにABCD包囲陣という経済制裁を行いました。

ABCDというのはアメリカ、イギリス、中国、オランダの頭文字を取っています。

 

アメリカのハル国務長官は日本が到底飲むはずの無い要求であるハルノートという最後通牒をつけつけます。

ハルノートとは?

日本が中国から撤退すること、ドイツイギリスとの三国同盟を破棄すること、満州国を解体することなどを要求した最後通牒

最後通牒とは相手国に自国の最終的な要求を出して飲まない場合は、自由行動を取ることを述べた文書です。

当然、日本はアメリカの要求には応えず、開戦へと進んでいきました。

当時は、同盟国のドイツは連戦連勝を繰り広げ、日本国内ではドイツがイギリスにも勝つ事を疑ってやまない風潮もあったのです。

 

1941年12月1日は天皇も交えた御前会議にて開戦が決定。

連合艦隊隊長の山本五十六は奇襲を行わなければアメリカには勝てないと主張して、

真珠湾を奇襲攻撃しました。

真珠湾はアメリカの太平洋での最大の海軍基地となっており、太平洋のアメリカの拠点を制圧できれば、アメリカ国土の戦争への士気を低下できると考えたのです。

 

管理人
日本の他国への侵略にイギリス・アメリカが怒った形でスタートしたんだね!

 

戦争の長期化と連合国軍の反撃

戦局は最初こそ良かったものの、日本が最も避けたかった長期化へと突入していきました。

1942年6月のミッドウェー海戦では日本はアメリカに敗北。

8月のガダルカナルの戦いでも敗北してしまいました。

 

1944年6月には戦局がどんどん悪くなる日本にとどめを刺すようにサイパン島にアメリカ軍が上陸。

サイパン島は日本に空襲できる最重要拠点地であり、サイパン島を失った事で日本の敗戦は濃厚になりました。

 

1945年にはいよいよ日本の本土にアメリカ軍が上陸しました。

4月から約3か月間は沖縄で激しい日米両軍の戦闘が繰り広げられ、沖縄県民を巻き込んだ戦闘になります。

一般人約9万4,000人を含む、18万人あまりが命を落としました。

この戦いでは集団自決などの悲惨な事件も起きて、日本の当時の全体主義の行き過ぎを象徴しています。

 

1945年8月に入ると、広島・長崎に原爆が投下され、8月14日に日本はポツダム宣言受諾を連合国側に通告して、翌15日には天皇により戦争終結が国民に発表されました。

日本では8月15日が終戦記念日となっていますが、

正式に降伏文書に署名したのは9月2日の事で、世界的には9月2日が終戦記念日ともなっています。特に中国や韓国では9月2日はお祭りという風潮です。

日本はGHQの支配下に置かれ、統治される事となります。

 

管理人
日本は徐々に攻め込まれて1945年に入ると本土戦になったわけだね!

 

まとめ

この記事では太平洋戦争について解説しました。

太平洋戦争は日本が軍国主義へと投入していった最終結果として起きた戦争です。

他国へ侵攻して植民地を獲得するという帝国主義と、個人の利益よりも全体の利益を尊重する全体主義がもたらした結果と言えるでしょう。

その背景には恐慌から回復できない経済の状況と「持たざる国」としてのファシズムがありました。

-憲法

Copyright© 政治経済をわかりやすく , 2019 All Rights Reserved.