この記事では多元的国家論と国家法人説について解説します。
近代国家の成立では絶対王政期によるジャン・ボーダンの君主による主権を説いた国家論や、フィルマーの王権神授説による国家論がありました。
その後市民革命により主権は国民へと移行していくことになりますが、ロックやルソーの社会契約説に代表されるように様々な国家論が誕生します。
今回は多元的国家論と国家法人説について解説します。
多元的国家論とは?
国家は企業、学校等の社会集団の一部であるという国家論。
多元的国家論を説いたのは、ラスキやマッキーバーが代表的ですが、第一次世界大戦後にイギリスやアメリカで提唱されました。
多元的とは
多元的とは、物事の要素・根源がいくつもあるさま。複数の視点によるアプローチとも言えます。
多元的国家論の本質は、国家も社会集団の一部にしかすぎず、国家が絶対的な主権をもっているけではないという点です。
第一次世界戦まで各国は産業革命 → 植民地支配という帝国主義を取っていました。
ナショナリズムは勃興して例えばフランスはフランスという国に自信と誇りを持っていました。
日本の例で考えてみると日本も第二次世界大戦前は日本という国に自信と誇りを持ち、朝鮮・満州に領土を拡大しようという政策を取っていましたよね。
その時の国家の在り方が「日本」という1つの国に基づいた一元的国家だったわけです。
時代を少し戻して第一次世界大戦の事を考えてみましょう。ヨーロッパの各国は「分極化」して、ドイツはドイツとしてフランスはフランスとしての国を作り上げていました。
そういった国家としての在り方が第一次世界大戦を引き起こすきっかけとなり、その反省から多元的国論が生まれたのです。
つまり、国家を全体社会としてみなすことを否定して、ただの1つの集団に過ぎない自由主義的発想なのです。

国家法人説とは?
国家は法律を整備する法人。君主は国家の機関として国を統治している者という考え。
法人とは
一定の社会活動を営む組織体。例えば会社や神社など。法律によって権利能力を与えられた組織。
それまでの絶対王政では主権が君主にあり、国民を統治する権利は君主にありました。
しかし、国家法人説では統治権という意味で主権は君主ではなく国家に属しているとしました。
君主は法人の代表機関で、会社で言うところの社長のような位置づけです。
この考え方は日本にも飛び火して、議員の美濃部達吉が『天皇機関説』が唱えて辞職するという事がありました。
美濃部達吉は天皇が国家という法人の1つの機関に過ぎないという発言をしたのですが、イェリニックの国家法人説を引用したものでした。
日本は君主に対する忠誠の強い国だったため、君主である天皇を機関とみなす論調に猛反発が起きたのです。
国家法人説は19世紀のドイツで発展した国家論で、絶対王政に反対しつつ、国民主権の社会契約説の間をとったような立憲君主制を守る役割を果たしていました。

まとめ
この記事では多元的国家論と国家法人説について解説しました。
国家に対する考え方は、その当時の歴史的背景や政治の在り方、外交問題で変化していきます。
ドイツの国家法人説が日本にも飛び火した点に関しては、日本人として興味深い点ですね。