民主主義

ソ連の建国とスターリン批判とは?演説内容と中国への影響。

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この記事ではスターリン批判について解説します。

ロシアはロシア革命により権力集中制の社会主義政権を誕生させました。

社会主義とは生産手段を公的に所有することを主張した主義で、労働者により独裁が理想とされています。

ソ連の建国に携わったスターリンは社会主義国家を建国した人物として神格化され、崇拝されていましたが、

1956年にスターリンを批判した演説が世界中を驚かせました。

スターリン批判を語る上で、ソ連の建国とスターリンの主義は外せないので、順を追って解説します。

 

ソ連の建国とスターリン

ソ連の建国はロシア帝国を倒した1917年のロシア革命を起源とします。

ロシア革命はレーニンの指導による実現されましたが、ロシア革命にはマルクス主義の思想が深く影響しています。

ロシアは資本主義の導入が諸外国より遅れた事もあり

急速な工業化で労働者達は疲弊していました。

そんな状況下で、第一次世界大戦が勃発。労働者ばかりにしわ寄せがきて政権には多くの資本家が席を譲らず、君臨しており労働者達が政権を倒したのは当然の流れだったのかもしれません。

1924年にはレーニンが死去。

共産党の一党独裁制を築き上げたレーニンの死後はスターリンが政治指導者となりました。

スターリンはトロッキーらのスターリンに対立する人物を次々と失脚させ、

1920年代末には事実上の独裁権を掌握して、社会主義国家の建設をすすめました。

具体的には計画経済による急速な工業化および集団農場化の期間を経験する事となります。

 

スターリンは自らの社会主義国家建国に向けての行動を正当化して、「スターリン主義」を発展させました。

スターリン主義とは?

指導者に対する個人崇拝。軍事力による暴力的な対外政策。反対するものを大量に粛清(物理的暴力など)の正当化など。

スターリンは大粛清を実行して、スターリンに反対する人達を次々と殺していきました。

1934年の党大会では約2,000人の代議員のうち、約1,100を逮捕して、大半を死刑に追い込みました。

粛清の対象は反対派だけでなく、少数民族や知識人や官僚にまで及んでいます。

 

管理人
死者は数千万人にも及んだと言われているよ。

 

スターリン批判とは?

1956年2月、ソ連共産党第一書記フルシチョフが党大会にてスターリンを批判する演説を行ったこと

 

この演説は世界を驚かせました。

一般演説とはスターリンの個人名を出さなかったものの、戦争不可避論(=資本主義陣営との争いは必要という考え)を批判して、

暴力的な手段に頼るのではなく、議会を通じて平和的に社会主義に移行することを呼びかけたのです。

 

フルシチョフの演説により、産党一党独裁のもとでの言論抑圧が一時的に弱まったことを冷戦の「雪どけ」とも表現されています。

 

フルシチョフは一般演説ではスターリンの個人名は出しませんでしたが、

2月24~25日に開かれた非公開の会議ではスターリンを名指しで批判しています。

これは秘密報告と呼ばれ、この会議には1,355名の代議員と81名の審議権をもつ代表が参加しましたが、メモを取ることは禁じられていました。

もちろん外部の人間は参加が許されなかったのですが、

秘密報告の内容は海外に漏れ、アメリカなどのメディアが新聞に取り上げたりと世界中に衝撃を与えたのです。

 

演説の内容は、

・スターリンは個人崇拝を「わがままに」利用した。レーニンの「集団指導」を無視した。
・反対派を「人民の敵」として大量粛清を行った。
・スターリンは軍事的天才ではなかった。
・民族の大虐殺には責任がある。
・スターリンは農村部の現状をほとんど理解していなかった。

などの内容です。

 

管理人
冷戦中の資本主義陣営の国にとってはフルシチョフが自国の政権批判をした事は衝撃的だったわけだ!

 

スターリン批判の中国への影響

中ソ論争を引き起こし、中国は独自の共産党体制を築いていく

フルシチョフによるスターリン批判に中国の毛沢東は反発しました。

特にフルシチョフが戦争不可避論を否定して、平和的に社会主義国家を推進していく事はマルクスの考えに反しており、

毛沢東にとっては到底受け入れられるものではなかったのです。

毛沢東はその後文化大革命により次々と反対派を粛清していますから、フルシチョフの穏健な提案は毛沢東の思想に反していました。

 

文化大革命に関しては、『中国の文化大革命とは?毛沢東や政治面に注目してわかりやすく解説。』の記事をご覧ください。

 

このフルシチョフのスターリン批判演説をきっかけに中国とソ連の関係は悪化して、中ソの対立は深刻化しました。

 

管理人
毛沢東はスターリンに近い考え方だったわけだね!

 

まとめ

この記事ではスターリン批判について解説しました。

スターリンは社会主義国家の建設をすすめるために、個人崇拝や大量粛清などの政策を行っていました。

政権に反対する人達は『人民の敵』とみなされ殺されたのです。

死者は数千万人にも及ぶと言われています。

フルシチョフはスターリンの行動を批判する事で、世界中に衝撃を与えました。

フルシチョフは戦争不可避論を否定して、平和的な社会主義国家の建設をすすめたのです。

 

1980年代のゴルバチョフのペレストロイカからソ連の崩壊に関しては以下の記事をご覧ください。

ゴルバチョフのペレストロイカ改革をわかりやすく!グラスノスチは情報公開

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