この記事ではソ連崩壊の理由について解説します。
1980年代に共産党書記長のゴルバチョフはソ連を立て直すためにペレストロイカ政策を行います。
マスメディアによる言論の自由化や、情報公開、民主化を進め政治面・経済面でソ連の社会を変革しようとしましたが、失敗に終わります。
ゴルバチョフ以前のソ連の経済はうまくいっていませんでしたが、ゴルバチョフは機能停止にしてしまったとさえ言われています。
ゴルバチョフの辞任を経てソ連は崩壊に向かいますが、この記事ではソ連崩壊の理由と
ソ連崩壊より緩い枠組みで形成された国家複合体のCISについて解説します。
ソ連崩壊の理由
ゴルバチョフのペレストロイカ政策により社会主義体制の弱体化と経済の混乱
ソ連崩壊の理由は1つではありませんが、
ゴルバチョフの政策が失敗に終わった事が最大の要因と言えるでしょう。
ゴルバチョフのペレストロイカとグラスノスチに関しては、『ゴルバチョフのペレストロイカ改革をわかりやすく!グラスノスチは情報公開』の記事をご覧ください。
ゴルバチョフの政策は、共産主義敷いていたソ連の強大な支配を弱めてしまいました。
自由な思想や言論が可能になったために、共産党に対する批判の声が大きくなったのです。
またグラスノスチによる情報公開で過去のソ連のならわしであって秘密主義が次々と暴露されることになり、支配下にあったバルト三国はソ連からの独立を宣言。
この運動は東ヨーロッパや中央アジアにまで広がり、現在のカザフスタンやウクライナもソ連から独立をしました。
経済の面に関しても市場経済の導入は限定的なものであり、1989年には深刻な民衆からの不満の声が上がりました。
ソ連は急速に求心力を失っていったのです。
このような共産主義体制の崩壊や東欧の支配の弱まりに危機感を感じた「共産党保守派」は危機感をつのらせ、
ゴルバチョフを監禁してクーデターを起こそうとします。
しかし、ペレストロイカの推進派であってエリティン率いるモスクワ市民が立ち上がりクーデターを阻止しました。
共産党保守派によるクーデターの計画はあえなく失敗。
こうしてソ連共産党の消滅とソ連の崩壊が一気に起きたのでした。

独立国家共同体(CIS)とは?
旧ソ連の共和国により、緩い枠組みで形成された国家複合体
ソ連崩壊後、ロシア連邦が成立。
ゴルバチョフの改革推進派だったエリティンがロシアの初大統領に就任しました。
ロシア、ウクライナ、ベラルーシの参加国首脳がCISの創立を宣言して、1993年までにはバルト3国を覗く12か国がCISに加盟しています。
ソ連は1922年の建国当時は4つの共和国で構成されていましたが、
全体主義の1940年までには15の共和国の連邦国家となっていました。
経済的にも外交的にも深く結びついているので、急に『ソ連が崩壊したら、連邦国家も解散』というわけにはいかないので、独立国家共同体という緩い枠組みが継続されたのです。
連邦制に関しては、『アメリカの連邦制の特徴をわかりやすく。連邦制国家の対義語は単一国家』の記事をご覧ください。
遅れてウクライナ、トルクメニスタンが準加盟国となっています。
ウクライナはロシアに次ぐ大国で完全独立や核兵器の保有も主張しました。
ウクライナは2014年3月に脱退方針を決定しています。

まとめ
この記事ではソ連崩壊と独立国家共同体について解説しました。
ソ連は社会主義体制で20年近く経済が停滞していたことで、ゴルバチョフは改革の必要性を迫られていました。
経済・政治の面で自由化、民主化を推し進めた結果、ソ連は崩壊。
15の共和国の連邦国家だったソ連はその後、緩く独立国家共同体(CIS)を形成することになりました。