この記事では社会主義市場経済について解説します。
社会主義経済と対をなす資本主義経済では市場に放任しすぎた事により、大恐慌を引き起こし
国家が市場に干渉して積極的財政政策を取るという修正資本主義経済を採りました。いわゆる混合経済です。
一方の社会主義経済も社会主義経済の問題点を解決するために一部市場経済を導入しました。
これが社会主義市場経済のはじまりです。
社会主義市場経済とは?
市場経済を導入しながら共産党一党独裁を維持する体制
中国では文化大革命後の1980年代に入り鄧小平政権の下で、改革開放政策が取られていました。
中国の改革開放政策に関しては『中国の改革開放政策とは?わかりやすく解説。社会主義市場経済の導入。』の記事をご覧ください。
改革開放政策とは市場経済を一部導入して、経済特区を作ることで外資を呼び込み経済を立て直す政策です。
しかし、貧富の差が拡大した事やインフレや景気の浮き沈みにより
市民からの不満から天安門事件が起きました。
天安門事件とは?
民主化を求めてデモを起こした市民に対して、政府が軍事力で制圧して多数の死者を出した事件。国際社会から厳しく批判された。
この天安門事件による国際社会からの批判を受けて、
当時の最高権力者である鄧小平は深センや上海などの主要都市を回り、声明を発表しました。
鄧小平は、社会主義の体制下でも資本主義を導入して経済発展をする事が可能であるという事を提唱しました。
鄧小平が提唱した方針は「社会主義市場経済」として、1992年中国共産党党大会に報告されたのち、
1993年に憲法に明記されました。
これにより、それまでの共産党と国家による計画経済を改めて、市場経済を基礎に行政指導で経済調整を行う経済が導入されたのです。

社会主義に関しては『社会主義とは?簡単にわかりやすく解説。社会主義の歴史も紹介。』の記事をご覧ください。
社会主義市場経済の内容
1992年以降、より一層改革開放政策が行われ中国の経済成長は一気に加速しました。
しかし、都市部と農村部の貧富の差は拡大する一方だったため、鄧小平の引退後に最高指導者となった江沢民は
貧富の差を解消するために一層の経済政策を行いました。
このころからは本格的に社会主義市場経済が憲法に明記された時期です。
2001年には念願のWTO(世界貿易機構)に加入する事となります。
中国は以前からWTOに加入したかったのですが、台湾との問題などで加入ができませんでした。
2002年には前年比22%を超える、輸出入額6,000億ドルを突破するなどWTO加入の恩恵を受けています。
特に金融市場も開放が進み、外資系金融企業が中国の経済特区に参入するきっかけとなりました。
2004年には私有財産制を認めた憲法改正案が全人代で可決される事となります。
これにより中国は共産党一党独裁の社会主義国家でありながらも、
経済の面では資本主義経済を導入している、社会主義市場経済の政策を取り、アメリカに肩を並べる経済大国となりました。

まとめ
この記事では社会主義市場経済について解説しました。
中国では文化大革命にて衰退した経済を立て直すために、鄧小平により改革開放政策が取られました。
市場経済が導入され、1993年には憲法に社会主義市場経済として明記されました。
社会主義国家でありながら私有財産制を明記するなど、その特色が伺えます。