この記事ではイギリスの重商主義政策について解説します。
15世紀のイギリスでは第1次囲い込み政策により仕事を失った農民が都市部に移住して労働者となりました。
「雇われて働く」というそれまでに自給自足経済とは異なる資本主義経済の初期には、
重商主義という保護貿易政策が取られていたのです。
今回は重商主義について解説します。
重商主義とは?
冨とは金銀や貨幣であり、輸出を通して外国から冨を得ることが重要である考え方
重商主義では資本主義経済の初期の段階で展開された考え方です。
冨とは金銀の事であり、金銀、貨幣を獲得するために積極的に国内で生産した物を輸出する事で金銀、貨幣を獲得するべきという考え方でした。
重商主義は資本主義が産業革命によって確立される以前の絶対王政期の時代に一般的となりました。
トマス=マンが重商主義の代表的な思想家で、
「わが国には財宝を産出する鉱山がないのだから、外国貿易以外に財宝を獲得する手段がないことは思慮ある人なら誰も否定しないであろう」
という言葉を残しています。
イギリスの重商主義は、
・重金主義
・貿易差額主義
という2つのステージで発展しました。
・重金主義
重商主義の初期のステージ。
金銀を獲得する事が国力を増強する手段だと考えられていて、国内の鉱山開発をしたり、海外からの金銀を獲得しました。
国内の金銀を外国に流失させない事も重要視していました。
・貿易差額主義
輸入よりも輸出を多くしてその差額で金銀を獲得しようとする政策。
そのためには国際競争で優位を持てる産業を国内保護して輸出を増加させました。
株式会社の起源となった東インド会社の係官トマス=マンが貿易差額主義を主張しました。

重商主義に対する批判
まず、重商主義により起きた事として植民地の獲得が起きました。
重商主義は貿易にて輸出を増やすことにより金銀を獲得することを目的としているため、
自国製品を売る外国市場が必要とされたのです。
ヨーロッパの有力国は植民地を求めて各地で激しく争いました。
重商主義は経済学者のアダムスミスによっても批判されました。
重商主義では輸出によって金や銀が国に入ってくる。だから輸入をなるべく減らして、金銀の流出を抑え、金銀を溜めこもうとする主義でした。
しかし、アダムスミスはこう考えました。
金銀を使って海外から生活必需品を輸入する。生活必需品のおかげで国民の生活が豊かになる。
国民の生活が豊かになる事こそ冨である。
としたのです。
そのため重商主義を批判して、輸入もすべきだという考えを展開したのでした。
アダムスミスは自由放任主義経済を推進した人なので、重商主義のような保護主義には反対だったわけです。

まとめ
この記事では重商主義について解説しました。
重商主義とは産業革命前に絶対王政期にて、外国から金銀を獲得して金銀という冨を貯めるという考え方です。
そのため輸出に強い産業を保護して、輸出量を増やし輸入を減らしました。
重商主義の結果、有力なヨーロッパの国々は植民地の獲得に乗り出しました。
18世紀に入ると政治の変貌もあり、アダムスミスのような自由主義者が自由放任主義を主張しました。