この記事ではマルクス主義について解説します。
社会主義は資本主義経済にて発生する、貧富の差や景気変動などの諸問題に批判する立場として発展しました。
初期の社会主義では、ロバート=オーエン、サン=シモン、フーリエなどの社会改革者たちが、
冨の分配を行うための協同組合、自給自足の政策、産業の否定など、独自の社会主義的思想を発展していきました。
彼らはあくまでアイデアの段階だっただめ空想的社会主義者と呼ばれます。
そしてこれらの社会主義的思想はマルクスやエンゲルスによって体系的に確立されていくのでした。
社会主義については『社会主義とは?簡単にわかりやすく解説。社会主義の歴史も紹介。』の記事をご覧ください。
マルクス主義とは?
マルクスとエンゲルスによって確立された社会主義思想
エンゲルスは社会主義思想を体系的に確立しました。
歴史的な見方や科学的なものの見方で構築したとしており、科学的社会主義とも呼ばれます。
その後の社会主義運動の大きな潮流となり、帝国主義時代には帝国主義の矛盾を批判する中で
最初の社会主義革命のロシア革命へと大きな影響を及ぼしたのがマルクス主義です。
マルクス主義は資本を「社会の共有財産」を目指し、労働者が資本家のために働くことは資本家の資本の蓄積を増長するだけなので、階級のない協同社会を目指したのです。
資本家は労働者が働いて得たものを労働者にすべて渡さないで、
生産手段の所有者である資本家が労働者から搾取していると社会主義思想家であるマルクスは考えたのです。
そのため、労働者は団結して、資本家から資本を奪い返えすことが必要だと考えたのです。
マルクス主義は3つの思想が骨子となっています。
共産主義
マルクスとエンゲルスは1847年にロンドンにて設立された秘密結社「共産主義同盟」にて、
団体の基本目標である綱領の草案作成を任されました。
そこで人類の歴史は、自由民と奴隷、領主と農奴、資本家と労働者といった階級による闘争の歴史であり、
労働者(プロレタリアート)は生産力がない無産階級であり、生活のためだけに自らの労働力を売るしかないと主張しました。
そのため資本を社会に再分配することで、階級の無い社会を実現できるとしたのです。
階級が無ければ政治闘争も消滅して、人一人の自由な発展がすべての人の自由な発展の条件となるような協同社会が訪れるとしました。

唯物論的歴史観(ゆいぶつてきれきしかん)
マルクス主義は科学的社会主義とも呼ばれ、歴史的な見方でも構築されています。
唯物論的歴史観というのは、
「物質的な生産力や生産関係の変化が、歴史を動かす原動力となる」
という勧化方です。
生産力というのは、社会における経済を構成している産業や企業がが生産できる能力のことです。
マルクスが考える生産関係の変化というのは、共同狩猟と食料の採集であり、封建領主と農奴の関係であり、資本主義段階における労働者と資本家の間に結ばれる契約というような概念を指しています。
つまり、歴史を振り返ってみると、支配階級が制度によって固定化されていき、やがて階級闘争に繋がると考えました。
マルクスは人間の歴史は階級闘争の歴史だったとしているのです。
マルクスは唯物史観について以下のように発表しています。
1、社会の発展は、その社会のもつ物質的条件や生産力の発展に応じて引き起こされる。
2、社会は、その生産力により必然的に一定の生産関係(おおまかに言うと経済的な関係)に入る。それは社会にとって最も重要な社会的関係である。
3、生産力が何らかの要因で発展すると、従来の生産関係との間に矛盾が生じ、その矛盾が突き動かす力により生産関係が変化(発展)する。これが階級闘争を生み出し歴史を突き動かす基本的な力であると考える。
4、生産力や生産関係は、個々の人間の意図や意志とは独立して変化する。
5、政治的法律的上部構造は、生産関係を中心とする経済のあり方(土台=下部構造)に規定される。(下部構造が上部構造を規定する)
6、今ある生産関係の形態がもはや生産力の発展を助けず、その足かせとなるとき、革命が起こる。
つまり、社会の構造は経済によって決定するものだとマルクスは主張しています。
資本主義経済というものを否定しなければ、社会主義は実現できないという事ですね。

経済学
マルクスは長年経済を研究していましたが、主著『資本論』にて結実しています。
マルクスは「剰余価値説」という考えを定義しました。
剰余価値説とは、資本家は労働者が生み出す価値よりも、少ない賃金を渡して差額を超過分として受け取る事ができるという考えです。
資本家は剰余価値を資本として蓄積していて、労働者には資本が分配されません。
そして資本家はさらに資本を投下して、労働力を買うことで、貧富の差は拡大していくとマルクスは考えました。
マルクスは『資本論』の発表にて社会主義の正当性をより強固なものにしました。

マルクス主義の活動
1859年代後半になると、アメリカの南北戦争の影響でヨーロッパの綿花企業が次々と倒産して不況が起きました。
1860年代に入ると労働者による労働運動が盛んになり、
労働者の国際連帯の気運も高まり、イギリスやフランスの労働者代表団がイギリスに集結しました。
マルクスもドイツ代表として招集され、1864年9月には、
イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、スイス、ポーランドの労働者代表が出席して
第一インターナショナルが結成しました。
第一インターナショナルは世界初の国際結社でヨーロッパの労働者、社会主義者による結成されました。
マルクスは第一インターナショナルの起草委員に就任して、規約づくりを任されました。
他の参加者は労働者ばかりであったため、マルクスの意見がほぼ全面的に通る形になり全会一致で規約は作成されました。
エンゲルスと共同で作成した「共産党宣言」と同様の結びである、
「労働者は政治権力の獲得を第一の義務とし、もって労働者階級を解放し、階級支配を絶滅するという究極目標を自らの手で勝ち取らねばならない。そのために万国のプロレタリアよ、団結せよ!」
にて第一インターナショナルの規約を締めくくっています。
マルクスは他にもアメリカのリンカーンによる奴隷解放宣言を支持しています。

マルクス主義の展開
マルクスは包括的な世界観と革命思想で、資本主義を批判して社会主義の到来に必然性があることを説きました。
マルクス主義は20世紀以降の国際政治や思想に大きな影響を与えています。
マルクス主義はマルクスの死後も支持され、発展していきました。
マルクス主義はいくつかの潮流を生み出します。
修正主義(ベルンシュタイン主義)
エンゲルスの死後、正統派マルクス主義と言われていたドイツのベルンシュタインはマルクス主義と少し異なる見解を発表しはじめます。
労働者(プロレタリアート)は非合法的な暴力の手段ではなくて、議会制民主主義を通じて社会改良すべき
という考え方です。
マルクス主義では労働者による暴力による「革命」が肯定されていました。
マルクスも共産党宣言にて暴力に的に社会秩序を転覆することによってのみ、自己の目的が達成されると主張しています。
つまり、労働者が暴力によって社会を変革するのが正統派マルクス主義なのですが、
ドイツのベルンシュタインは暴力ではない社会改革を訴えました。
ベルンシュタインは1899年の著書『社会主義の諸前提と社会民主党の任務』にて、
マルクス主義の修正を行いました。それにより修正主義と呼ばれています。
教条主義(カウツキー主義)
教条とは教義やドグマなどと呼ばれ、「従うべき固定されて強固な信条」という意味です。
教条主義とは、「理論だけは信条しているけれども、実際のところは実践に移されていない」という意味で使われます。
マルクスの暴力的革命により社会秩序を転覆するという主義を修正した
ベルンシュタインの修正主義はカウツキーによって批判されました。
ドイツのカウツキーは正統派マルクス主義で、非合法の暴力により労働者は革命を起こすべきという主張をしていました。
しかし、実際のところはドイツ社会民主党は議会制民主主義により勢力を伸ばしていて
暴力により政治権力が実際に行動に移されたことはありませんでした。
つまり、理論では暴力により政治の奪還でしたが、実際のところは議会制民主主義により勢力を伸ばしたことから
カウツキーは教条主義と呼ばれるようになったのです。
左派修正主義(ソレル主義)
イタリアのソレルはマルクス主義の暴力による革命や階級闘争を支持しました。
労働者が資本家を非合法な暴力によって革命を起こして、平等な社会を作り上げる事にソレルも賛成していました。
しかし、正統派マルクス主義に反対している点が2つあります。
1、唯物史観
2、プロレタリア国際主義
ソレルは、マルクスが考えた歴史的な観点で生産関係によって階級が生まれるという点を否定しました。
マルクスは経済の発展に伴い、支配者階級が誕生して階級間の闘争が起きると主張していましが、
ソレルは「神話」が大衆を一致した行動に導くとしたのです。社会統合に「神話」を持ち出したのがソレルの主張の特徴でした。
ソレルの考えは後のムッソリーニによる全体主義へとつながっていきます。
プロレタリア国際主義とはマルクス主義や無政府主義の考え方で、
労働者が国際的に団結して、政府を超えて国際的に団結、協同を強めようという動きでした。
共産主義は、財産を共有する発想からできていて究極的には政府もいらないものと考えます。
ソレルはプロレタリア国際主義には否定的な考えを取っていました。
レーニン主義
資本主義の導入が比較的遅れたロシアではロシア革命が起きました。
社会主義国家が誕生して、レーニンがロシア革命を指導しましたが、プロレタリア独裁期を社会主義であるという考え方が、レーニン主義です。
プロレタリア独裁とは労働者であるプロレタリアが革命によって資本家を強制支配して、権力を維持したことです。
資本主義社会から社会主義社会に移行する過渡期の現象でした。
レーニンは資本主義により帝国主義を批判しました。
資本主義は利益を積み上げて資本の蓄積を行い、国内での経済がうまくいかなくなったら
資本主義の導入が遅れている未開発の国を侵略して植民地化する帝国主義を批判したのです。
つまり、こういった1900年に入った歴史的背景の下に社会主義国家をプロレタリア独裁によって確立したのがレーニン主義でした。
レーニンの後任のスターリンは、レーニンのおかげでマルクス主義が正統に継承、発展されたと称しています。
レーニン主義は、1929年の世界恐慌でも経済の影響を受けることなく、
第二次世界大戦ではドイツの猛威にも立ち向かい撃退したことから、世界中で賞賛されました。
第二次世界大戦以降の冷戦期では、社会主義国家が次々と誕生した理由にもなっています。
まとめ
この記事ではマルクス主義について解説しました。
マルクス主義とは恐慌、失業、労使の階級対立の激化などを見せていた資本主義体制を批判することから始まりました。
マルクス経済学を創始し、体系化したのがマルクスです。
労働者が暴力により資本家を倒して社会秩序を転覆されるのがマルクス主義の考え方です。
そして、生産手段を共有化するという考えを主張しました。
マルクス主義は20世紀の社会経済に大きな影響を与えています。