この記事ではマニュファクチュア(工場制手工業)について解説します。
イギリスではエンクロージャーにより農民が都市部に移動して労働者となり、
政治の面では絶対王政から市民革命を経て『国家からの自由』を手に入れた国民は経済自由放任主義を求めました。
資本主義の導入につれて、生産形態はそれまでの1人ですべて作るという問屋制家内工業から、
工場制手工業に変わってきました。
今回は工場制手工業(マニュファクチュア)について解説します。
マニュファクチュア(工場制手工業)とは?
資本家が労働者を仕事場に集め、分業の方式で手と道具を使って商品を生産するやり方
マニュファクチュアはまだ機械が導入されていない時期、資本主義経済の初期に発達した生産方式です。
資本家が労働者を工場に集めて、賃金を支払い、労働者は労働力を提供するという
資本主義経済の基本的要素が見られます。
マニュファクチュアは15世紀のイギリスにてはじまり、主に毛織物業がその中心でした。
マニュファクチュアでは『分業』という生産力を飛躍的に高める方式が採用されました。
それまでの問屋制家内工業では「1人ですべて作る」方式でしたが、マニュファクチュアでは「みんなで分担して作る」という方式です。
一つの生産物をつくる際に、原料を加工して、半製品をつくり、それを最終生産物に仕上げるように、
いくつかの生産工程に分けて労働者を配置する生産方式のことを分業と言います。
分業の概念に関しては、アダム=スミスが『諸国民の冨』の中で初めて説明しました。

工場制機械工業への移行
機械を利用して、工場の中で大規模に生産を行うやり方に移行
18世紀後半のイギリスの産業革命により、機械が登場しました。
機械により製品を生産するやり方は、ワットが蒸気機関の改良に成功したことで可能になったのです。
蒸気機関とは上記の力を利用して動力を得ることです。
ワットはそれまで往復運動する蒸気機関を円運動するものに改良しました。
この改良により、様々な機械に蒸気機関が応用されるようになったのです。
産業革命により手工業のマニュファクチュアは工場制機械工業に発展して、
資本主義経済は飛躍的に発展しました。
産業資本家は労働者を雇い入れて、機械を用いて労働に従事させました。
産業資本と商業資本の違いについては、『商業資本と産業資本の違いとは?問屋制家内工業からマニュファクチュアへ。』の記事をご覧ください。

まとめ
この記事ではマニュファクチュアについて解説しました。
イギリスではエンクロージャーにより農民が土地や仕事を失い都市部に移動したという背景を経て、
資本家が労働さhを仕事場に集めて分業させるというマニュファクチュアが発達しました。
産業革命以降は蒸気機関の改良もあり、工場制機械工業へ発展して
急速に工業が進歩して、資本主義経済が発展しました。