この記事ではイギリスのマグナカルタについて解説します。
市民革命によって市民が自由権や参政権を勝ち取る遥か昔から、自由権というのは、追及されていたのでした。
さかのぼること1215年のマグナ=カルタが世界で最初の憲法的な文書と言われています。
今回はこのマグナ=カルタについて解説します。
マグナ=カルタとは?
貴族たちが国王ジョンに勝手に税を貸したり、不当な逮捕や拘禁をしないことを認めさせた憲法的文書
マグナ=カルタは世界で初めて国王に制限を与えた憲法として有名です。
マグナ=カルタは別名「大憲章」とも呼ばれますが、憲章とは「極めて根本的で重要な決まり事」を文書化したものです。
細かい歴史的経緯は世界史に譲るものとして、
当時のジョン国王はフランスに侵攻しようとするも全面撤退を余儀なくされました。
イングランドに帰国したジョン国王は貴族の反発を受け手、しぶしぶマグナ=カルタを制定する事となります。
1215年の事です。
イギリスの裁判官ブラクトンは、「王は人のもとにあってはならない。しかし、国王といえども神と法のもとにある。なぜなら、法が王を作るからである」という格言を残しています。

マグナ=カルタの歴史的意味
マグナカルタの内容は、
教会は国王から自由であることを明言していたり、不当な上納金や、軍役代納金の徴収に対する反対となっています。
国王ジョンはたび重なる争いの度に徴税権を濫用して税金を課していました。
このかってに 税を課してはいけないという部分は租税法律主義の発芽となっています。
不当な逮捕や拘禁をしてはいけないという部分も罪刑法定主義の発芽となっているのです。
さらにマグナ=カルタという法が王権を制限したという意味では、「法の支配」のさきがけとしてイギリスの憲法の基礎となりました。
人の支配と法の支配に関しては、『人の支配と法の支配と法治主義の違いを確認!図でわかりやすく解説。』の記事をご覧ください。
もちろんマグナ=カルタは当時の貴族の特権を国王が認めただけに過ぎないという批判があるのも事実で、
この内容が広くイギリス市民全体に保障されるまでには、1642~60年の清教徒革命、1688年の名誉革命という市民革命を経てはじめて達成されるのです。

まとめ
この記事せはマグナ=カルタについて解説しました。
政治経済では、マグナカルタはイギリスの「法の精神」のさきがけとして位置づけられています。
人の支配では支配者が法に拘束されることなく、法を超越して行う政治の事ですが、
マグナ=カルタでははじめて法で国王の権利が制限されました。