民主主義

リンカンのゲティスバーグ演説とは?リンカンは奴隷解放宣言をした人物。

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この記事ではリンカンのゲティスバーグ演説と奴隷解放宣言について解説します。

リンカンのゲティスバーグ演説は史上最高の名スピーチとして有名です。

アメリカでは1776年にイギリスからの独立戦争を経て、アメリカ独立宣言が出されました。

アメリカ独立宣言では、自然権(人が生まれながらにして持つ権利)が説かれていましたが、その後も奴隷制度は継続しており、実質的には白人男性に限定されたものだったのです。

黒人やネイティブアメリカン、女性の自然権は保障されているものではありませんでした。

第16代アメリカ大統領のリンカンはその問題点に切り込んだ人物と言えるでしょう。

この記事ではゲティスバーグ演説と奴隷解放宣言について解説します。

 

リンカンのゲティスバーグ演説とは?

ペンシルバニア州ゲティスバーグにてリンカンが行った民主主義の原理を説いた演説

当時のアメリカは奴隷制度の拡張に反対する北部と、連邦政府から脱退した南部11州とで南北戦争が起きていました。

ペンシルバニア州のゲティスバーグは南北戦争の激戦地となり、北部が有利に傾く重要な局面となりました。

ゲティスバーグの戦いは北部の勝利に終わり、リンカンはゲティスバーグにてわずか2分の演説を行ったのですが、

アメリカ独立宣言、アメリカ合衆国憲法と並びアメリカの歴史にて特別な位置を占める演説となっています。

『人民の、人民による、人民のための政治』はゲティスバーグ演説の最後の部分で述べた言葉であり、現代でもとても有名な言葉ですね。

冒頭でも87年前に出されたアメリカ独立宣言の「自由」と「平等」についても触れています。

管理人
リンカンの演説は民主主義の原理を端的に表したものとして有名だね!

 

奴隷解放宣言とは?

南北戦争中の1863年にリンカンが出した宣言で奴隷制度を否定したもの

リンカンが1863年に奴隷解放宣言を出して事で、多くの黒人が連邦軍につき自由のために戦いました。

1865年の南北戦争終結までに20万人ものアフリカ系アメリカ人が戦争に参加しています。

南北戦争は元々、南部の独立を防ぐための戦争でしたが、この奴隷解放宣言により、アメリカの民主主義や社会変革のための戦いと様子を変えていきました。

リンカンは元々奴隷制度自体には反対しておらず、奴隷制度の拡張に反対していました。

しかし、南北戦争が長期化する中で北部の圧倒的勝利の必要性と、国際的な奴隷制度に対する疑問(自由権の観点から)奴隷解放宣言を強行したのです。

リンカンの暗殺後1865年に合衆国憲法を修正して、奴隷制度の禁止が保障されることになったものの

黒人に対する差別は根強く残ってしまったのです。

 

管理人
一見、奴隷解放宣言は素晴らしく思えるけど南北戦争で勝利するためのものという意味もあったんだね!

 

まとめ

この記事ではリンカンのゲティスバーグ演説と奴隷解放宣言について解説しました。

2つとも奴隷制度の拡張を否定する北部と連邦から独立しようとする南部の戦いの中で行われました。

ゲティスバーグの演説は民主主義の原理を表したもので、今日でも有名な一説となっています。

アメリカでは1776年にアメリカ独立宣言にて自然権が説かれていましたが、奴隷が解放されたのはそれから約100年後の事だったのです。

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