この記事ではレッセフェールについて解説します。
イギリスでは産業革命により資本主義経済が確立しました。
政治的な面では市民革命により主権が国王から市民に移動したことにより、「国家からの自由」が実現されたことと、
歴史的な面では商業資本家が産業資本家へと産業革命により変貌したことです。
市場経済を支える重要な政策として、レッセフェールという考え方がこの頃のイギリスでは一般的となりました。
今回はレッセフェールについて解説します。
レッセフェール(自由放任主義)とは?
経済活動において、自由に競争することを認める経済政策のこと
レッセフェールはフランス語で「なすに任せよ」という意味で、経済学の世界では多用されます。
政府は民間の経済活動には介入すべきではなく、経済は市場における自由競争に委ねる方が良いと言う考え方です。
自由競争では、企業や家計が何をどれだけいくらで、売ったり買ったりするかに関しては
政府は口出しをせず、市場にとって有害なものや悪意のある参加者や、不公正な競争だけは政府が取り締まる対象となっています。
レッセフェールは元々、フランスの重農主義者が達がスローガンとして掲げていました。
経済学者のアダムスミスが『諸国民の富』の中で、「自由競争によって見えざる手が働き、最大の繁栄がもたらされる」と書き記し、レッセフェールの考え方を一般的なものにしました。
当時のイギリスでは商業資本家が外国から金銀を稼ぐために、
国王から特権をもらい独占的に経済を動かしていたため、彼らに対する批判としてもレッセフェールは注目を浴びたのです。
国王は承認に特権を与え重商主義を展開していました。
重商主義に関しては『イギリス発端の重商主義政策とは?わかりやすく解説。アダムスミスが批判。』の記事をご覧ください。

まとめ
この記事ではレッセフェール(自由放任主義)について解説しました。
それまでのイギリスの経済は重商主義を取っており、国王が商人に権利を与えて外国から金銀を獲得する政策を取っていました。
この頃に株式会社ができて、植民地政策が拡がっています。
レッセフェールは経済活動に政府は介入せずに市場に任せるべきだという政策ですが、アダムスミスによって提唱されました。