この記事では国家神道について解説します。
明治以降の日本の社会は大日本帝国憲法にて天皇主権が定まり、天皇を中心とした国家運営が行われました。
あらゆる権力が介入できない天皇大権があり、1930年に入ると軍国主義というイデオロギーを推進するために天皇を中心とした昭和維新まで陸軍によって主導されました。
このように明治から第二次世界大戦までの間に天皇の存在は日本国民にとって欠かせない存在でした。
その風潮を作り上げた理由の1つに国家神道があります。
今回は国家神道について解説します。
国家神道とは?
国教と位置付けられた神道のこと。
国教とは国家が保護して活動を支援する宗教の事です。
明治初期から第二次世界大戦中にかけて、天皇制、国家主義思想のイデオロギーとして国民の思想を統一するために、利用されました。
江戸時代の頃は江戸幕府が民衆支配のために仏教を推進していました。
これは檀家制度を広く普及して国民の支配をしやすくしていたためです。
一方の神道は江戸時代は不遇の事態を迎えましたが、明治維新とともに「王政復古」「尊皇」の気運が高まるについて、明治新政府は、神道を国民統合の象徴として、利用し始めます。
明治元年には神仏分離政策により、神社と寺が完全に分離されました。
当時の明治政府は欧米に目を向けてみると、キリスト教やユダヤ教が、欧米人達の精神の支柱になっていることに注目して、
神道を日本国民の精神の支柱にしようとしていたのです。
明治15年には教派神道十三派という政府から公認の神道も指定されました。
1930年代に入ると軍部は天皇の権威を借りて、政治介入を行いました。
国家統合のイデオロギーとして天皇のためにという全体主義をプロパガンダとして普及していったのです。
国家神道は国民の思想東一に利用されました。
戦後になるとGHQによる神道指令で政治と分離され、日本国憲法では宗教の政治的利用・保護は禁止されています。
GHQは特に神道を神国、現人神、聖戦などの思想に使われているものとして危険視していました。

まとめ
この記事では国家神道について解説しました。
明治以降から第二次世界大戦まで神道は国教とされていました。
天皇の権威を借りて国民の思想を統一することが目的だったのです。
明治初期は明治政府がキリスト教やユダヤ教の欧米にならって神道を利用しました。
1930年代に入ると軍部が天皇の権威を借りて政治介入したのです。