民主主義

権利請願とピューリタン(清教徒)革命とは?わかりやすく解説。

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この記事では権利請願とピューリタン革命について解説します。

自由の権利は市民革命以前から追及されてきていました。

世界で最初の憲法的な文書は、マグナカルタですが、当時の貴族の特権を国王が確認したに過ぎないものです。

勝手に税を課したりしない、不当な逮捕や拘禁をしないなどの内容が広くイギリス市民全体に保障されるまでには、

今回解説する権利請願やピューリタン革命という市民革命を経なければならかったのです。

 

権利請願とは?

イギリス国王チャールズ1世に対して議会の同意がない課税と不当逮捕などに反対して議会が提出した文書

当時のイギリスは国王と議会の関係が何度も衝突していました。

当時の国王チャールズ1世はフランスやスペインと開戦して敗戦したことにより、

イギリスの財政は破綻に追い込まれていました。

チャールズ1世は議会を収集して、新たに税金を課す事を試みましたが、議会はこれを拒否。チャールズ1世は議会を解散させてしまうのです。

さらには強制的な公債(国の借金)を拒否した議員27名を投獄しています。

議会は国王に国民の自由と権利を保障する法案を提出しようとしました。議会の同意なしに課税しない、不法投獄しないという内容です。

しかし、法案という形で国王に提出すると国王の怒りを買ってしまうとして、請願という形で提出したのです。

これが権利請願です。

管理人
いかに国王に権力が集中していたのか?がわかる出来事だね!

 

ピューリタン(清教徒)革命とは?

ピューリタンを中心とする議会派が、チャールズ1世の絶対王政を打倒した市民革命

チャールズ1世はいったん権利請願を許可したものの、すぐに無視してしまいました。

これをきっかけにピューリタン革命が起きます。

ピューリタンとは?

改革派プロテスタント。

プロテスタントは16世紀の宗教改革の後、ローマカトリック教会に対して成立した、形式よりも個人の信仰を重んじるキリスト教の新しい教派。

16~17世紀のイギリスにおける改革派プロテスタントがピューリタンと呼ばれました。

国王派と議会派(ピューリタン)が戦い、チャールズ1世は処刑されて共和制が実現しました。

 

ピューリタン革命では、イギリスの軍人であり政治家のクロムウェルが革命の中心人物となります。

クロムウェルは熱心なピューリタン集め騎兵隊を組織、そして長老派を議会から追い出して、共和制を樹立した人物です。

ピューリタン革命の結果、クロムウェルは軍事独裁政治を行い、民衆は離れていくようになってしまいました。

そういった経緯を経て、名誉革命へと続きます。

 

管理人
ピューリタン革命は市民の革命として不完全ではるものの、後の市民革命のきっかけとなったんだね!

 

まとめ

この記事では権利請願とピューリタン革命について解説しました。

ピューリタン革命の詳しい内容に関しては世界史の勉強に譲りますが、

政治経済の世界では、自由を求めた市民が絶対王政という政治制度に対して革命を起こしたという事実が重要です。

ピューリタン革命は、その後のアメリカ独立戦争、フランス革命へと大きな影響を与えていきます。

 

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