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憲法問題調査委員会と松本烝治による松本試案とは?国体護持は受け入れられず

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この記事では憲法問題調査委員会と松本試案について解説します。

ポツダム宣言の受諾後、GHQによる日本の占領政策が始まりました。

当初のGHQの占領政策は軍国主義者の追放や、人権をひどく抑制していた法律の廃止などの民主化政策でした。

政治面では、天皇に主権があった大日本帝国憲法の改正が最も重要な改革でした。

今回は憲法改正のために設置された委員会について解説します。

 

大日本帝国憲法に関しては『大日本帝国憲法の特徴をわかりやすく。伊藤博文はドイツ憲法を参考にした。』の記事をご覧ください。

憲法問題調査委員会とは?

1945年10月幣原喜重郎内閣のもとで大日本帝国憲法の改正を検討するために設置された委員会

当時の憲法改正担当の国務大臣だった松本烝治が委員長を務めたため

「松本委員会」とも呼ばれました。

 

日本はポツダム宣言をに調印する際に国体護持を主張していました。

国体護持とは?

大日本帝国憲法上の天皇の地位に変更を加えない主張。天皇中心の体制を大切にして守るということ。

しかし、連合国側は国体護持を受け入れることは無く、そのままポツダム宣言を受諾しました。

国体護持が受け入れられなかったことで、東久邇宮稔彦王内閣は占領政策に適応できずに総辞職しました。

そこで幣原喜重郎内閣が誕生します。

 

ポツダム宣言では、

・民主主義化
・基本的人権の尊重
・平和的な政府の樹立

が求められていたため、必然的に大日本帝国憲法を改正しなければならなかったのです。

東久邇宮稔彦王内閣の時の大臣、近衛文麿に対してマッカーサーは憲法の改正を示唆していました。

その後、東久邇宮稔彦王内閣が天皇制批判の自由化や、思想警察の全廃などの要求に応えらず総辞職をすると、

マッカーサーは幣原喜重郎内閣に対して、「憲法の自由主義化」について説明して、幣原喜重郎内閣は、憲法問題調査委員会を設置しました。

自由主義に関しては『絶対主義と自由主義とは?わかりやすく解説。』の記事をご覧ください。

 

憲法問題調査委員会は当初、各国の憲法を調査するだけの機関でしたが、

改正の気運が高まるについて、憲法問題調査委員会でも憲法に関する草案を作る事となりました。

 

管理人
委員会は憲法の調査が目的だったけど、結局草案を作る事になったんだね!

 

松本試案とは?

12月8日の衆議院予算委員会にて、憲法問題調査委員会の委員長を務めてた松本烝治は、

あくまで自分の考えと断った上で、

「天皇が統治権を総攬するという大日本帝国憲法の基本原則は変更しないこと。」
「議会の権限を拡大し、その反射として天皇大権に関わる事項をある程度制限すること。」
「国務大臣の責任を国政全般に及ぼし、国務大臣は議会に対して責任を負うこと。」
「人民の自由および権利の保護を拡大し、十分な救済の方法を講じること。」

という松本四原則を憲法改正を検討する上での基本方針としてあげました。

大日本帝国憲法との違いがあまり明確ではなく、天皇に統治権があるという骨子は変わりませんでした。

松本烝治は「松本試案」と呼ばれる、憲法改正の草案をGHQに提出しましたが、

天皇主権を温存するもので、民主化を実現するためには不徹底なものでありました。

 

それがきっかけとなり、マッカーサーはGHQ民政局に憲法改正案の作成を指示するようになったのです。

 

管理人
天皇主権はどうしても守りたい事項だったんだね!

 

まとめ

この記事では憲法問題調査委員会と松本試案について解説しました。

憲法問題調査委員会は1945年10月に憲法の調査を目的として発足しました。憲法改正の気運が高まると委員長の松本烝治は私案を作成して、GHQに提出しますが、民主化が徹底されるとは言えない天皇主権の憲法案でした。

そこで、マッカーサーはGHQ民政局に改正案の作成を指示することになりました。

 

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