この記事では法律の留保について解説します。
大日本帝国憲法では君主制国家において、君主に従える者として国民は臣民とされていました。
皇族以外の日本国民は臣民だったのです。
臣民の権利は天皇に恩恵的に与えられたものにすぎず「法律の範囲内」と限定され、きわめて不十分なものでした。
つまり人権も簡単に法律で制限できるという事です。
今回はこの法律の留保について解説します。
法律の留保とは?
法律に基づく限り、個人の権利、自由に対して必要な制限、侵害をすることができるということ
大日本帝国憲法では多くの人権規定が、「法律の範囲内において」という制限を受けていました。
つまり、人権は法律によって容易に制限、侵害ができたのです。
私たちが当たり前のように持っている
居住・移転の自由、言論・著作・印刷と発行・集会・結社の自由などは
「法律の範囲内にて」保障されていたのに過ぎないのが大日本帝国憲法下での臣民の自由です。
ドイツの法治主義では「法律を守ってさえいれば、行政は人権を侵害しても良い」とも解釈できるという考え方でした。
そのため、ドイツのナチズムを生み出す要因ともなっており、「全権委任法」などの法律の策定につながりました。
法律の留保とは、ドイツの法治主義と全く同じ発想です。
法治主義や実質的法治主義に関しては、『法の支配と法治主義の違いを解説。実質的法治主義と形式的法治主義とは?』の記事をご覧ください。
この法律の留保の発送のもと、1925年には治安維持法が制定されました。
治安維持という法律ができたため、特別高等警察が臣民のすべての発言や行動を厳しく監視するような社会が成立していたのです。
これも現代では当たり前のように保障されている基本的人権を尊重するというよりも、法律に基づく限りは個人の権利を侵害してもよいという考え方です。

まとめ
この記事では法律の留保について解説しました。
法律の留保とは法律に基づき限り、個人権利や自由を制限、侵害してよいという事です。
イギリスやフランスなどの市民が革命を起こした国では基本的人権を保障する憲法や不文法が制定されましたが、
ドイツや日本などの上からの改革により憲法が制定された立憲君主制の国では、
統治者が統治しやすいように憲法や法が作られた歴史があるため、法律の留保により人権が制限されたものだったのです。
日本が表面上だけ立憲主義だった理由は以下の記事をご覧ください。