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中国の四つの現代化(四つの近代化)とは?

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この記事では中国の四つの現代化(四つの近代化)について解説します。

中国では1960年代から1976年まで文化大革命政策が取られていました。

毛沢東が政権を取り戻すために、大衆や学生を巻き込んで暴力による大量虐殺が容認されていたのです。

社会主義が独裁を導くという負の側面が前面に出てしまった出来事でした。

文化大革命が収束した後に中国では近代化を目指す政策が打ち出されたのです。

それが四つの現代化(4つの近代化)です。

 

中国の文化大革命に関しては『中国の文化大革命とは?毛沢東や政治面に注目してわかりやすく解説。』の記事をご覧ください。

 

四つの現代化(4つの近代化)とは?

1977年に出された中国の国家目標。農業、工業、国防、科学技術の4つの分野で近代化をはかろうとした。

四つの現代化は1950~60年頃からすでに中国の国家目標として提案されていました。

中国文化大革命の最中である、1975年に鄧小平が提唱を行ったのです。

1975年に全人代の会議が開かれ、

「今世紀内に農業、工業、国防、科学技術の全面的な近代化を実現し、中国の国民経済を世界の前列に立たせる」

と提唱したのです。

1964年には既に周恩来が以下のように提唱していました。

・アメリカとの国交を回復することで軍事包囲網を解き、同時に技術移転の封鎖網を解く
・国から導入する先進プラントを軸に経済建設の方向を組み立てる

しかし、このように四つの近代化を進めるという事は

必然的に「知識人」達を招き入れることであり、専門家を重視する社会を築き上げるという事になります。

 

毛沢東が推進していた文化大革命では、学生達が暴動を起こして

資本主義に傾倒している知識人を次々と殺害していましたから、周恩来の提唱は毛沢東の思想を否定するものでした。

毛沢東の思想とは共産党が労働者を支配する体制のことです。

毛沢東は国内だけでなく、反戦キャンペーンを繰り広げ、国際的に労働者階級の地位を向上をさせる運動をしていたため、

周恩来の四つ現代化を実現する事は毛沢東とは真っ向から対立する内容だったのです。

 

そのため四つの現代化が実施されたのは文化大革命後の1977年の提唱のことで、

実現したのは1980年代からだったのです。

20世紀末までに1人あたりのGNP(国内総生産)を1,000ドルにまで高めようとする目標で、この目標は達成され、その後も順調に経済成長を続けています。

 

管理人
文化大革命が終わって四つの現代化が具体性を帯びたんだね!

 

資本主義経済への転換

四つの現代化は1981年に実権を獲得した鄧小平によって具体化されました。

鄧小平の四つの現代化はあくまで生産性を拡大させて、経済を活性化させる事が目的となっています。

民主主義を導入して基本的人権を認めたわけではなくて、

あくまで社会主義の中での上からの改革でした。

 

鄧小平は「改革・開放政策」を取り1980年代以降中国は資本主義経済に転身する方針が取られ、一気に経済的に発展します。

21世紀に入るとアメリカとも肩を並べる経済大国となったのはこの鄧小平による四つの現代化が出発点となっています。

 

鄧小平の政策により都市には一定の富裕層が出現して、貧富の差や都市と農村部の経済格差が浮き彫りになりました。

政治的には共産党一党独裁の社会主義を取っていますが、経済的には資本主義経済を導入するという例になっています。

 

管理人
中国の躍進はここから始まっているんだね!

まとめ

この記事では中国の四つの現代化について解説しました。

中国では文化大革命後に四つの現代化という国家目標が立てられました。

農業、工業、国防、科学技術4つの分野において、現代化をはかり、20世紀GNPを1人あたり1,000ドルまで増やすというものです。

1950年代から提唱されていましたが、1980年代に入り具体化しました。

中国は資本主義経済を導入して、現在ではアメリカと肩を並べる経済大国となっています。

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