この記事ではファシズムについて解説します。
個人の利益よりも全体の利益を優先するという全体主義の考えはイタリアのムッソリーニが1924年頃から政策として掲げ、
1929年のイギリスの新聞紙ではイタリアを『全体主義国家』として呼びました。
そしてムッソリーニが所属していたファシスト党の政策やイデオロギーはファシズムを呼ばれるようになりました。
そしてファシズムという政治のあり方はドイツや日本で受け入れられる事になります。
今回はファシズムについて解説します。
ファシズムとは?
国民の自由や権利を否定する政治のあり方を広くファシズムと呼ぶ
ファシズムという政治のあり方は議会政治の否定、一党独裁、暴力による国民の自由抑圧などの特徴を持ちます。
イタリアでは1,000程度の規模だったファシスト党が第一次世界大戦の参戦を支持して軍国主義の思想を掲げます。
背景として当時のイタリアは国際的にも急速に広がった共産主義の思想が広がっていました。
労働者や小作人は過激なストライキを行って資本主義に対抗していましたが、
ファシスト党は経営者と手を組み、暴力によりストライキを制圧しました。
1922年にはムッソリーニ首相が誕生して独裁政治を行いました。
ドイツでは第一次世界大戦の賠償金により国民生活は打撃を受けていました。
加えて世界恐慌により国民生活は最悪の状態に。貧困と重税に苦しんでいました。
ヒトラーというカリスマ的なリーダーが登場して全権委任法という立法権をナチス政権に委譲させる法律も制定されました。
民族共同体が個人に優越するとされ、基本的人権は抑圧されました。
基本的人権に関しては『人権とは何か?基本的人権についてわかりやすく解説。戦後の世界的人権保障』の記事をご覧ください。
日本では国家元首への敬礼や国旗や国歌への拝礼が強要されて、
ナショナリズムに紐づいたファシズムが発展しました。政権を担当したのは軍部で、「持たざる国」として大東亜共栄圏を作るという思想が大義名分として語られました。
このようにファシズムの国では、独裁政治となり国民の自由や権利は否定されます。
個人の利益よりも全体の利益を優先する全体主義思想による政策が取られるのです。

ファシズムが発展した理由
20世紀前半の国際社会は帝国主義でした。
イギリス、アメリカ、フランスなどの国は外国に乗り出し植民地を拡大させていきました。
資本主義経済が発展した結果、国家間で資本主義国が利潤の追求で競っていた時代です。
イタリアなどの国では帝国主義が遅れ、いわゆる植民地を持たない国として「持たざる国」と呼ばれました。
ドイツや日本も帝国主義の政策が遅れ植民地を持っていませんでした。
1929年の世界恐慌以降、イギリスやフランスなどの国は色濃く『ブロック経済政策』を行い、自国の植民地だけ貿易を行い、他国とは貿易を控えるようになりました。
ドイツや日本、イタリアなどの植民地を持たない国は景気が回復せず、1930年代に入ると侵略行為を展開していったのです。
これがファシズムという政治のあり方が成長した要因の1つでした。
恐慌時は政治家に対する不満から軍部が台頭して発言力を強めたり、
一党独裁政治により好きなように法律が制定されたりして、議会政治が否定されていきます。
議会政治という「不毛な」話し合いをしてもしょうがないという風潮に政治家も国民もなっていくのです。
ファシズムは「持たざる国」が旧来の伝統的権力である「持てる国」を否定して、
国民と国家を一体化するために、ことさらに民族主義(ナショナリズム)を高揚させるようなプロパガンダが取られたのです。

まとめ
この記事ではファシズムについて解説しました。
ファシズムとは元々はイタリアのファシスト党の独裁政治を指すものでしたが、
ドイツや日本などの国民の権利を否定する政治のあり方を指すようになりました。
特に世界恐慌後の「持たざる国」が植民地を持たない事による不満や、「持てる国」のような権力主義の国家に対抗する民族主義的な団結によって発展していきました。
1930年代に入るとファシズムの国は他国へ侵略するようになります。
国民を国家と一体化するために、民族主義がマスコミュニケーションによって主張されました。