この記事ではイギリスの囲い込み運動(エンクロージャー)について解説します。
資本主義経済の発展は、イギリスにて産業革命が起きた事や市民が立ち上がり基本的人権や民主主義を求めた「国家からの自由」が要因が起きました。
実はそれ以外にもイギリスの囲い込み運動も
雇われて働く
という労働者を生み出し資本主義経済の礎となったのです。
この記事では囲い込み運動(エンクロージャー)と資本主義経済の関係について解説します。
囲い込み運動(エンクロージャー)とは?
15世紀以来のイギリスにて領主が土地を農民から取り上げて羊を飼うための牧場に転換したこと
当時のイギリスは絶対王政期でした。
イギリスの海外市場での貿易が盛んになり、毛織物の需要が盛んになり、領主や冨農層(=地主)は、
「農業ではなく羊毛の生産の方が利益を上げられる」
と考え、農民たちから土地を取り上げて羊を飼うための牧場に転換したのです。
荘園制度により、農業のための土地は農民が私有していたのではなく
貴族が所有して農民に貸し出すような制度を取っていたのです。
追い出された農民は失業してしまい、浮浪するものも多く犯罪の増加につながってしまったと言われています。
この時期の囲い込み運動を第1次エンクロージャーと言います。
仕事を失った農民達が路頭に迷ってしまったので、議会は囲い込み運動を禁止するなどの対策を取りましたが、効果はありませんでした。
その後、17~18世紀に入り、イギリスの工業化が進み産業革命が本格化すると、
第2次エンクロージャーが起きます。
1800年頃から20年間で絶頂期を迎えました。
当時のイギリスは産業革命による経済の発展で人口が急増したこととナポレオン戦争により食糧に対する需要が拡大したことで、地主が土地を囲い込み、「資本主義的農業経営」が始まったのです。
この結果、地主が資本家に土地を貸して、資本家は大量の労働者を使い農業を経営するようになったのです。

囲い込み運動が資本主義経済の礎を作る
15世紀頃に領主たちが土地を囲い込み羊毛工業を起こすまでは、
主に自給自足経済でした。
自給自足経済とは自分たちの社会が必要する品物は、自分達の社会でつくる経済の事を言います。
他の社会との交易はほとんど行わらず、資本主義経済が行われる前の経済体制です。
第1次エンクロージャーにより、仕事を失った農民は土地を追い出されて、都市に移住して労働者となりました。
こうして工場制手工業での賃金労働者化が定着しました。
1601年には『救貧法』という法律が出され、弱者救済の措置が取られ、現代の社会保障の礎ともなっています。
穀物増産を目的とした第2次エンクロージャーでは、多くの農民が都市工業者となりました。
第1次エンクロージャーの時とは異なり、経済も自由主義による資本主義経済が発達していたため、議会もエンクロージャーを禁止しませんでした。
その結果、資本主義が一気に加速する事となったのです。

まとめ
この記事では囲い込み運動(エンクロージャー)と資本主義経済の関係について解説しました。
第1次エンクロージャーは領主が羊毛工業のために土地を囲い込みしたことです。
第2次エンクロージャーは産業革命時に穀物需要のために地主が土地を囲い込みして資本主義的農業経営をはじめたことです。
土地を追い出さた農民は都市に移住して労働者として従事したことから、
資本主義経済のきっかけとなり、産業革命によって『雇われて働く』という労働者が定着することになりました。
それまでの自給自足経済とは異なる経済体制のはじまりです。