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中国の改革開放政策とは?わかりやすく解説。社会主義市場経済の導入。

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この記事では中国の改革・開放政策について解説します。

中国では文化大革命の後、1977年から「四つの現代化」が国家目標となりました。

20世紀末までに国民一人あたりおGNPを1,000ドルに押し上げる目標が立てられ、農業、工業、国防、科学技術の4つの分野において、現代化がはかられました。

1981年に実権を握り現代化を推し進めた鄧小平は、新しい経済政策を推し進めたのです。

それが改革・開放政策です。

 

四つの近代化に関しては『中国の四つの現代化(四つの近代化)とは?』の記事をご覧ください。

 

改革開放政策とは?

鄧小平による資本主義経済の導入。計画経済から市場経済体制への移行を試みた経済政策

鄧小平は文化大革命にて疲弊した経済を立て直すために、4つの現代化を国家目標としました。

この4つの現代化の国家目標により経済を計画経済から市場経済へと移行する事となりました。

まずは都市部を中心とした先に豊かになれる条件を整えたところから豊かになり、その影響で他も豊かになるという先富論に基づいています。

改革の部分では、

人民公社の解体、農業生産の請負制、工場長責任制、郷鎮企業や個人経営企業の許可をはじめとする市場経済の導入があります。

開放の部分では、

経済特別区の設立などがありました。

 

管理人
経済の自由化を積極的に導入した政策なんだね!

 

改革開放政策の詳しい内容

ここでは改革開放政策の詳しい内容を説明します。

 

〇人民公社の解体

人民公社は毛沢東が大躍進政策を取っていた時に農村部に作られた組織です。

人民公社は農村部の人達が集団で自給自足生活を送るために作られた組織でした。

都市部に住む人たちは都市部の国有地の土地に住み、国有企業に勤めることで社会保障を得ることができましたが、農村部は人民公社に所属するしか生活の基盤がありませんでした。

人民公社では、集団生産、集団生活を行うことが目的とされていましたが、

機能が不完全で多数の餓死者を出してしまいました。

改革開放政策では、人民公社が解体されました。

 

〇生産責任制

改革政開放政策のでもっとも市場経済の導入に貢献したのが、生産責任制の導入です。

生産責任制とは行った生産を自由に販売したりする権利、つまり経営自主権です。

農家は余った農作物を自由に販売できるようになり、工場長は経営を任されるようになります。

これにより労働者や経営者の生産意欲を向上させました。

 

〇開放政策

都市部では外国からの資本を積極的に入れるために経済特区が作られます。

これを開放政策と言います。

文化大革命までは封鎖政策により一種の鎖国状態でしたが、改革開放政策では積極的に外資を入れ、海外の資本と海外の技術をと言入れました。

1979年からシェンチェン、チェーハイなどを経済特区と認定して現在では5か所設定されています。

経済特区は中国において中国の高度成長を支えている要因となっています。

 

管理人
市場経済を導入する政策だったんだね!

 

改革開放政策の問題点

鄧小平は改革開放政策を取り一定の成果を上げました。

しかし、市場経済の発展は問題点も生み出しました。

いわゆる資本主義の導入により農村部と都市部、沿岸部と内陸部における経済格差が大きくなり、インフレや失業などの不満から政府に対する批判が起きました。

というのも、急速に経済が発展したことで、官僚の汚職や腐敗が蔓延したという背景があります。

 

政府に対して不満を持った市民は1989年に民主主義を求めて天安門にてデモ活動を行い、

政府が軍事力で鎮圧すると言う天安門事件も起きました。

これにより改革開放は一時中断してしまったのです。

 

その後1992年から再び改革開放政策が推し進められることとなりました。

 

管理人
資本主義経済は貧富の差の問題はつきものなんだね!

 

まとめ

この記事では中国の改革開放政策について解説しました。

改革開放政策とは文化大革命後に鄧小平により行われた経済政策です。鄧小平は現実派の人でした。

経済に市場経済を導入して企業に自主経営権を認めて、都市部の経済特区では積極的に外資と外国の技術を導入しました。

急速に発展した経済や貧富の差やインフレ、失業などの諸問題も発生させました。

 

 

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