この記事ではチャタレイ事件について解説します。
表現の自由という権利は、政治的議論を活発にしたり社会の少数派の意見を世間に知らせるなど、健全な社会を運営する上で非常に重要とされている自由です。
そのため、表現の自由に関しては制約をなるべくせずに、必要最小限度に届けなければなりません。しかし、表現の自由が保障されているからといってなんでも表現して良いわけではなく、他人の利益を侵害してしまう場合は公共の福祉の制約を受けます。
チャタレイ事件は表現の自由と公共の福祉の関係性についてよくわかる事件です。
表現の自由に関しては以下の記事をご覧ください。
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表現の自由とは?憲法21条にて制定。公共の福祉に反する場合は制限される。
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チャタレイ事件とは?
作家ローレンスの小説を翻訳した伊藤整と版元の小山書店社長、小山久二郎に対して刑法第175条のわいせつ物頒布罪が問われた事件。
チャタレイ事件は1928年にイギリスで発表された小説「チャタレイ夫人の恋人」が発端となっています。
「チャタレイ夫人の恋人」はイギリスの身分制度を大胆に扱った小説ですが、有害図書と見なされてイギリス国内外でも物議をかもしました。
作家のローレンスは性描写が多いため、一般に販売する事が困難だと考え1928年にチラシを作成して私家版を公開。
修正した小説版は1929年に販売されました。イギリスでも無修正版が発売されたのはそれから30年以上経った1960年の事でした。
日本では、1935年に修正版が翻訳されて発売され、無修正版が1950年に発売されました。
1950年は当時、日本が戦後でGHQに支配されており、独立を果たしていなかった時です。そのため「チャタレイ夫人の恋人」に関しては、日本政府とGHQにより検閲されていました。
「チャタレイ夫人の恋人」の無修正版を翻訳した伊藤整と版元の小山書店社長は、作品の性描写が度を超していると理解しながらも翻訳して出版を行いました。
チャタレイ事件の争点は、
・わいせつ文書に対する規制は、憲法21条の表現の自由に反しないか。
・表現の自由は公共の福祉にて制限できるか。
という点でした。
第一審では版元の小山書店社長に罰金25万円の有罪判決、翻訳をした伊藤整は無罪となりましたが、
第二審では、小山書店社長に罰金25万円、翻訳をした伊藤整に罰金10万円の有罪判決となりました。
2人は上告を行いましたが、最高裁は上告を棄却して有罪が確定しました。

最高裁の判断
日本の戦前は、出版物は政府によって検閲をされており、出版物が「社会にとって有害である」と判断された場合は、発売禁止処分になっていました。
そのため戦後になって初めて、わいせつ文書を取り締まる刑法175条がどこまで適用されるか?という点が重要性を帯びるようになりました。
チャタレイ事件では、最高裁は「わいせつの三要素」を示しつつ、公共の福祉論を用いて上告を棄却しました。
・徒らに性欲を興奮又は刺戟せしめ、
・通常人の正常な性的羞恥心を害し
・善良な性的道義観念に反するものをいう
これにより、わいせつの定義が最高裁により示されて、のちの裁判の体的な判断基準・方法を展開していくようになりました。
小説「チャタレイ夫人の恋人」の無修正版がイギリスで発売されたのは1960年のことですが、東京での先駆けとなったチャタレイ事件裁判は国内だけではなくて、海外でも同種の裁判の先駆けとなり、利用されることになりました。

まとめ
この記事ではチャタレー事件について解説しました。
チャタレー事件の完訳版は日本では1973年に発売されています。
小説「チャタレイ夫人の恋人」は、イギリスの貴族制度を批判しつつ、婚姻外の性交渉について表現している小説ですが、時代の変化や社会の変容に従って、寛容度合いが変化するという点にも学びがあります。
わいせつ文書に関しては刑法175条にて規定されていますが、公共の福祉という観点がわいせつ文書を制限する事に対する批判もあります。
チャタレー事件は後の裁判にて、最高裁がわいせつの定義を明確に示した判例となりました。