この記事では市民革命について解説します。
現代の私達の生活では想像できませんが、中世のヨーロッパでは絶対君主制が敷かれており、
フランス絶対王政の全盛期を作り出したルイ14世は『朕は国家なり』という有名な言葉を残しています。
それほどまでに絶対君主としての権力、また君主の国家観が示されていることを象徴した言葉でした。
国民は絶対君主制に反対するために革命を起こしました。
今回は、市民よる革命、市民革命とその歩みについて解説します。
市民革命とその歩み
市民階級を中心とする民衆による社会変革
市民革命はイギリス → アメリカ → フランスの順で起こりました。市民革命は資本主義の確立、発展にも大きな影響を及ぼしています。
国により市民革命の内容と時期が違うためここでは、区別して整理したいと思います。
市民革命を経て人々は基本的人権を獲得したため、人権に関する規定も紹介します。
イギリス
〇1215年 マグナ・カルタ(大憲章)
国王ジョンに対する「法の支配」要求により制定されました。
マグナ・カルタは法の支配の原型となっており、失敗を続けた国王ジョンに対して比較的教養が深かった封建階級が国王の政治的権限を抑制する目的で認めさせたものです。
不当逮捕・拘禁の禁止や国王の課税権の制限を盛り込んでいます。
マグナ・カルタについて詳しく知りたい人は、『マグナカルタ(大憲章)とは?法の支配の出発点となった内容をわかりやすく。』の記事をご覧ください。
〇1628年 権利請願
コーク率いる議会が国王チャールズ1世に対して法の支配を要求しました。
議会が行ったという点がポイントです。
国王の気を悪くしないように『請願(=お願い)』という形で出されました。
〇1688年 名誉革命
1642年のピューリタン革命に次いで起きた革命。
イギリス議会がジェームズ2世を追放しました。
〇1689年 権利章典
ピューリタン革命、名誉革命の勝利によって制定された王権を制限するための権利章典が制定されます。
この内容が非常に重要で、議会主権、自由権一般、具体的には信教の自由、人身の自由、請願権、私有財産権といった具体的な権利が規定されています。
この権利章典をもってイギリスの自由権は集大成しました。

アメリカ
〇1776年8月 バージニア権利章典(憲法)
独立戦争の勝利により制定されました。自然権、天賦人権を軸としています。
自然権が憲法に明記されたのはバージニア権利章典がはじめてです。
アメリカのイギリスからの独立革命はロックの抵抗権の思想とトマス・ペインの『常識論(コモン・センス)』にある「政府は最低でも必要悪であり、最悪の場合耐えがたい悪となる」というメッセージが人々を革命へと駆り立てていきました。
〇1776年7月 アメリカ独立宣言
アメリカ独立宣言も自然権、天賦人権を明記しています。
起草人はトマス・ジェファーソンで「われわれは、自明の真理として、すべての人は平等に造られ造物主によって、一定の奪いがたい天賦の権利を付与され~」の一説が有名です。
自然権と天賦人権を自明の真理としました。
〇1787年 アメリカ合衆国憲法の制定
1787年のフィラデルフィア憲法制定会議を経て、合衆国憲法が制定されました。
国家として世界最初の成文憲法です。マディソンやハミルトンが有名な起草者です。
制定当初は人権規定がなかったため、1791年に修正第10条(一般に権利章典という)が付け加えられ、現在までに27の修正が加えられています。

フランス
1789年 フランス革命
フランス革命に勝利によってフランス人権宣言が出されました。
正式名称は『人及び市民の権利宣言』です。ラ・ファイエットによって起草されました。
第16条の「権利の保障が確保されず、権力の分立が明記されていないすべての社会は、憲法をもつものではない」という一説が重要です。
フランスはイギリスと対抗していたため、アメリカの独立戦争を支援していました。
結果、アメリカが独立戦争に勝利して独立宣言を行った事で、フランスにも影響が及んだのです。

まとめ
この記事では市民革命について解説しました。
市民階級を中心とする民衆による社会変革はイギリス→アメリカ→フランスの順で起きました。
市民革命の末に国民は自然権や基本的人権を手にして、後の資本主義の発展に大きな影響を及ぼしました。