この記事ではアダムスミスの国富論について解説します。
アダムスミスは経済活動に政府は介入すべきではなく、市場経済はだれが命令するわけでもないのに、
多数の生産者による供給と、多数の消費者の需要とがうまく調整されて、『神の見えざる手』が作用していると形容しました。
実はこの有名な一説は国富論の中で1回だけ出てくるだけなのですが、
現代の経済学の教科書にも取り上げられる内容です。
今回はアダムスミスの思想について解説します。
アダムスミスの思想
アダムスミスは国富を金銀の蓄積とする重商主義的な経済を批判していました。
重商主義とは国の富は金銀によるものとして、なるべく輸出を増やして、輸入を減らしその差益で金銀を国内に多く蓄積しようというものでした。
そのため植民地の獲得にも乗り出し、金銀を獲得し続けていたのです。
しかし、アダムスミスは金銀の蓄積が国の豊かさにつながるのではなく、
国の豊かさはモノ(財)が人々にどれだけ行き渡っているによって決まる
としました。
つまり、金銀の蓄積が豊かさではなく、一定期間における国の生産活動の大きさが最も肝心であるとしたのです。
アダムスミスは国富論の中で、富の源泉は労働にあるとして、
「ピンを作るのに、一人で作っても限りがあるが、100人で分業すれば何万本もできる」
という事例をあげながら、分業に基づいた協業によって社会の生産力が飛躍的に向上すると説明したのです。
分業に関しては、『マニュファクチュア(工場制手工業)とは?産業革命で工場制機械工業に移行。』の記事をご覧ください。
さらにアダムスミスは分業が成り立つためには、正当な報酬が支払われるというモチベーションが必要だとしました。
分業が進むためにはフェアプレイの精神によって市場が成り立たなければならないとしています。

アダムスミスの国富論
アダムスミスの思想に重複する内容になりますが、
アダムスミスは1776年に国富論を出版しました。
国富論では人間は利己的な生き物であるとして、自己の利益の追求が、結果的に生産物を自然価格に導くという価格の「自動調整機能」について述べています。
神の見えざる手を形容しているものはまさに価格の自動調整機能のことで、
個々人が自分の利益を追求して行動することで、価格は自然と市場経済で決定していくというものです。
アダムスミスは経済活動において、国家は干渉せず、市場での自由競争に任せるレッセフェールを主張しています。
市場経済に関しては、『市場経済とは?メリットとデメリットを分かりやすく解説。資本主義経済の特徴。』の記事をご覧ください。

まとめ
この記事ではアダムスミスの思想について解説しました。
アダムスミスはそれまでの重商主義への批判から、レッセフェールを主張しました。
政府は市場になるべく干渉せずに個々人の銃競争に任せるというものです。
神の見えざる手によって需要と供給のバランスにて価格は自動調整機能を持つとしています。
実はアダムスミスは経済学者ではなく道徳哲学の先生をしていました。
道徳哲学に関する著書では、『人間は利己的な生き物であるのに、なぜ社会は秩序を持っているのか?』という哲学を説いており、
その後の国富論へとつながっていたのです。